一応渡米して半年ちょっと、授業は一学期おわって、だいたいリズムがつかめてきました。…が、ちょっと問題が発生しています。
思ったように仕事がはかどらない。*1
のです。自分の感覚では2-3時間ちょっとあればOKなものがどういうわけか半日仕事あるいはそれ以上になってしまって、それが明らかに自分の集中力不足であるという事態にちょくちょく遭遇しています。渡米前はアメリカの大学院生は寝る暇もなく課題をというイメージだったのですが、現在のところ研究にも適切に時間をかけることができています。が、遅い。集中力の切れ方がちょっとおかしいこともあり、なかなか思うようにアウトプットを出せていない気がしています。
中学から高校に移って、自分の体の変化というか、記憶能力の変化に気付かず、勉強方法を間違って成績はもちろんのこと、精神的にもガタガタ*2になった経験がある身としては、結局自分の適性を考慮して考え方を変えていくしかないかなという気がしているのですが、研究を続けたい身としては、今の時点でこうも処理能力に変化が出てくるのは、致命的です。
残念ながら、僕はかつて周囲にいた人たちのように、能力が高い人間ではありません。あくまでも自分の適性・嗜好を考慮に入れて活動の最適解を探しながら生きていかなくてはいけない宿命にあります。自分をつかう技術が、自分の変化に追いつくか…一流のプロスポーツ選手ほどではないですが、この点についてはずっと考えていかなくてはならないのだと思います。20代も半ばのいま、また自分について考える時期なのかもしれません。
あるいは、大学時代“USAのCaltech*3やUC,Berkeleyとかいった所に留学したいなー”と、大学受験で失敗したのもあって、缶詰めで、ろくに人づきあいもせずに頑張っていたのはいいが、結局教官と留学について揉めて*4出願さえも今の大学を含めて2校*5だけ。今なら色々選択肢が考えられるものの、あれだけ時間をかけたのにという思いがあるのは否めません。英語にしても、“こんなものだったかな”と首をかしげることがしばしばです。生活に慣れてきたのもあって、そうした思いが集中力に反映してきているのかもしれません。やはり成功体験は人が前に進む原動力です。
もっとも、今の所属学科は自分の研究にはベストだと断言できます。知名度自体はそんなにないので、報告にいったとある先生からは露骨に話をそらされるような目にもあいましたが、学生がそんなにいないこともあり、一流誌のエディターをやっている現在の担当教官と頻繁にやりとりできるのは本当によかったと思います。超有名な先生についたのはいいが、会えるのは半年に一回か二回とかいうケースもこちらでは現実にあるのです。それに比べると、随分時間を有効に使えています。おまけに、教授の研究人生で一番のターニングポイント、世界最高のデータが目の前にあります。それは、自分がかつてプロポーザルを書いて、とある大先生に“君のいっていることは、やる意味があるのか”といわれ、答えられなかった質問の答えを最高の形で返せるものです。これでだめなら…という状態ではあるのは間違いないです。
人生何がよいかは、本当に最後までわかりません。そろそろ自分の能力と現実を受け止めて、人の目を気にせずに自分の道を切り開いていく時期なのでしょう。