Kalessin Action ― The Never Ending Endeavour ―

地震・火山専門の研究開発員のブログ。あららぎハカセ(理学)。つくばで高いところに行くモノ🛰の中身を作ってます。

"科学は誰のものでもない"

[追記あり]

先日性懲りもなくMSNの記事をみていたらおやと思う記事をみつけました。


科学は誰のものか

書き手は竹内薫さん


「ファインマン物理学」を読む 量子力学と相対論を中心として

「ファインマン物理学」を読む 量子力学と相対論を中心として

大学入ったばかりの頃はこれで頭をせっせと動かしていました。


あんまり知らない人もいらっしゃるかと思いますが、サイエンスライターとか、サイエンスコミュニケーターと呼ばれる人たちの中でもベテラン、しかも硬派の人です。僕は大学に入ってからしばらくこの分野とはご無沙汰しているのですが、10年ちょっとまえ、まだ出版不況が押し寄せてくる以前、サイエンスコミュニケーターという言葉がなかった時代から活躍していらっしゃる方です。ニュートンを創刊した竹内均先生が科学コミュニケーションの第一世代(?)とするならその次位の世代の担い手(??)と少々乱暴かつ我流の言い方ですが、言えると思います。最近では、"サイエンスコミュニケーター"を広義に解釈してみると、


横山広美先生
内田麻理香さん
福岡伸一先生
*1

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)


と個人単位でも、不学な僕でも結構名前を挙げれる人がいる位重要性がある分野として認知された感があります。しかし、90年代はネットの黎明期でもあり、そんなにフォーカスがあたるような感じではなかった気がします。

さて、そんな彼が科学業界に

この3つの事例に共通するのは、税金で研究をしていながら、国民に研究内容をフィードバックしようという意識が希薄な科学者の姿である。優れた科学者が、同時に優れた広報官である必要などないが、もう少し「公共心」を持ってもバチはあたらないのではないか。

もちろん、すべての科学者がこういった態度を取るわけではない。だが、科学という営みの構造が変化したにもかかわらず、科学者の意識は、イギリス貴族が趣味でやっていた時代と比べて、あまり変わっていないのかもしれない。

私も、そろそろ事業仕分けで科学予算を仕分けるお手伝いでもしてみようかしら。いや、無論、冗談であるが…。

科学は誰のものか より


なかなか手厳しいです。中学高校から彼の文章を多少なりともみてきた人間からすると"彼から言われるのはちょっと耳が痛いなぁ"と思ったものです。…が、この文章に物言いがつきました。


たった3例で「科学者は非常識な人間だらけ」と断じられてはたまらない

お気持ちはよくわかります。「非常識の塊」系研究者と運悪くも接しなければならなくなった時の面倒くささ・うんざりさ加減たるや、察するに余りあるものがあります。同業者同士でも辟易することが珍しくないのですから、増してやコミュニティ外の人が感じるストレスは大変なものでしょう。


しかしながら、非常識な研究者の例を3つだけ挙げて、「そこに共通するのは『公共心』の欠如」などと断じられても、我々研究者としては困ってしまいます。


加えて、その後に「そろそろ事業仕分けで科学予算を仕分けるお手伝いでもしてみようか」などと、まるで研究者全体を脅迫するかのような文言をわざわざ大手メディアの紙上で並べるなどというのは、とても理性的な態度とはいえません。問題のある研究者に遭遇したならば当の本人に厳しく指摘すれば良い話ですし、それでも改まらないようならば「非常識な研究者をまずは常識ある職業人にするよう教育すべし」という議論を提起するべきでしょう。


生物系ポスドクの著名ブロガーさんの手厳しい批判です。この他にもこんなコメントこんな意見も見られました。科学者側への批判なので反発が来るのはある種当然なのかもしれませんが、そもそも竹内さんは冗談と本文に断っている上、過去に仕分け自体にはかなり苦りきったコメントをはいておられます。

事業仕分けのゴタゴタでスパコンの完成が遅れて、できたときには一番になれないって本当ですか。
posted at 10:45:33


事業仕分けが「小沢ダム」とパチンコを仕分けられたら評価も変わる…仕分けの精神はまちがっていないと思うけど、現状では、事業仕分け自体、仕分けた方がいいと感じる。
posted at 18:10:49


たまたまつぶやくところを目撃していたのですが、もう本当に言いようのない怨みがにじみ出てくるような感じでした。


もちろん科学コミュニケーションに多大な貢献をしてきたからと言って何を言っていいというものでもありませんし、“科学者は”と安易にくくってしまうことも好ましいことではありません。ただしです、やはり長年広義の科学の報道現場にかかわってきた人の言葉を軽んずるべきではないというのが僕のスタンスです。
このコラムで彼が言いたかったことは何か、一言でいうなら科学者の社会に対する責任のあり方の問題提起ではないでしょうか。


たとえば地球科学では、日本は地震探査船をはじめとした各種の探査船の他、"ちきゅう"という世界に誇る掘削船を所持しています。が、問題はその運営金額。いくらかご存知でしょうか。


年間約40100億
出典はこちら


です。数年ですばる望遠鏡が一個買えてしまう代物です。もっとも通常の研究航海は非常にお金がかかるため一月で一億位はかかります。それから比べてもやや割高です。これだけお金がかかる事業に対して何の疑念ももたないとしたら、それは問題でしょう。少なくとも、最低、サイエンスとして社会にそれなりのフィードバックをしなくてはならないと思うのではないでしょうか。


ちきゅうのみに限らず、こうした高額の研究に対して、かなり懐疑的に批判する人もいます。確かにいうまでもなくマントルまでを掘削するというちきゅうの試みは科学的には非常に価値のある試みです。ただ、こうした試みを、科学的に価値があるからといって説明責任を放棄していいことには、僕はならないと思います。もちろん科学者はジャーナリストではありませんし、ある程度の限界はあります。が、少なくともかなりの割合を税金でまかなってもらっている以上、社会に対する説明責任への自覚は多かれ少なかれ必要だと思います。現実にJAMSTECはちきゅうの積極的な一般公開を行っているほか、最近ではやや専門向けではありますが、twitterでちょくちょく近況を報告してくれています。


ちきゅうだけに限らず科学者のあり方について辛らつな批判をする人は少なからずいます。また、僕は地熱という日本でも稀に見る零細業界にいた人間として展示会などでPR活動したことが何度かあったのですが、その度に専門外の人との科学なり技術なりに対する捉え方のギャップを感じることは多々ありました。一度海外ポスドクさんについて鹿児島のとあるSSHに出張授業にいったのですが、その際高校の先生から“こういったことが何の役にたつのですか?”と聞かれ、説明してもやりかたがまずかったのかなかなか理解してもらえなかったことがあります。科学者としての立場はあるかと思いますが、一般の感覚からはそれなりに乖離していることは自覚しておいたほうがいいかもしれません。


竹内さんの記事に戻ると彼が言いたかったことは別に科学者には変人や非常識な人が多いといったようなことではないと思います。彼の表現での“「公共心」を持っても”というのは、科学者の営みが税金という形で社会から支援を得ている以上、自らがどう社会に業績を還元するかを問う姿勢位は見せて欲しいということだと思います。むしろこの文章を単なる科学者の特異性の批判してしか理解していないのならば、科学者の社会に対する責任とかを考えたことがないのか(=批判の通り?)と思ってしまいます。税金を投入してもらっていることが当たり前になりすぎてそれに伴う社会的責任に無関心になっているのなら(ないとは思いますが)由々しき事態です。 *2


竹内さんが日本の科学が日本にとっても世界にとってもなくてはならないことはわかっている筈です。ここはひとつ科学関係者は襟を正して今一度研究活動のありかたをみつめなおす機会にしてはどうでしょうか。

*1:当時

*2:追記 : この点についてブログの作者さん御本人とtwitterでやりとりする機会がありました。その際紹介していただいた記事を読んでいただければ著者の方も、科学者の社会的責任について非常に意識が高いことがお分かりいただけるかと思います。若手研究者の意識変化については後日また書こうと思います。

@kalessinlord そういう、ゆるやかながらも着実に進行しつつあるムーブメントについても着目していただければと思います。そして、本来ならば竹内氏にも例の記事を書く前にそこを取り上げてほしかった。それが僕の正直な気持ちです。
posted at 12:19:03

@kalessinlord とはいえ、深刻化するポスドク問題・事業仕分けに端を発する「税金の無駄遣い叩き」の雰囲気の中で、かなり以前から意識改革に取り組んでいる若手研究者が増えてきているのも事実です。その声に押され、姿勢を変えつつあるベテラン研究者も増えています。
posted at 12:17:55