これについて、表面だけ見れば官僚の罵倒で終わってしまいそうですが、そんな軽率な言動を戒めてしていただきました。長年腑に落ちなかったことがこれで解決しました。
しかるに日本は、官僚たちは、長くても同じ部署に3年といない。次々と変わる事によって、上へ上へと登って行く。その短い時間に、どれほどの仕事をしたか(特に予算獲得?)が上昇速度を決めるかに見える。その仕事の基準は、極めて短期間に、その分野を把握し、適切な判断ができるかである。全てが即断即決の世界である。彼らの多くは、驚くほど優秀で、不眠不休で勉強をする。実に頭が下がる。しかし、十分な理解に達して熟知するに至ると、時間切れとなり、他の部署へ異動して行くのである。意思決定の中身は、その優秀さの限界をはるかに超えている場合が多い。特に科学においては。
官僚が日本を動かしているのは事実ですし、彼らがいわゆる国家公務員試験をパスしている優秀な人間であることは間違いない事実です。採鉱系の学科に所属していたこともあり、後から考えると”ああ、あの人は今から考えると天下りだったのだな”という人が担当する授業を受けたこともあります。あまり肩をもつつもりはありませんが、悪い感じはしなかったし、むしろちゃんとした専門家だったというイメージがあります。
ところが日本の政治というか国家システムをみると首をかしげるようなことは多々あり、その度に僕は彼らに対して疑念の眼差しを向けていたものでした。
その一方で“本来彼らは大学で勉強してああいったところに配属されているはずなのにな”という疑問が長年ありました。非難を口ではしつつも、どこか腑に落ちない点があったのでした。
これからはもう少し、自分の疑念を見逃さないようにして、物事を表面だけでなく突っ込んで考えてみたいと思います。
木村先生のブログともう一つ見つけた毛利さんの逸話を添えます。
その分野で長年張り付いて、人生をかけている毛利さんは、官僚ではない。だから説得性が生まれた。一方で、渡り歩く官僚たちの答弁には説得性が生まれない。当然なのである。これは彼らの責任だけではなく、根本的な仕組みの問題なのである。
仕分人と戦った毛利衛さんのことがもっと好きになるかもしれないエピソード
しかし今回の件を通して毛利さん*1からまた一つ大切なことを学びました。心の底からいつかああいう人になりたいと、思います。
毛利さんのプロフィールの年齢の項をみて卒倒しそうになった僕でした。
*1:厳密にいうと“毛利先生”なのですが…彼は元北大の化学の准教授です。