将棋自体は指した事はある人は結構いらっしゃると思うのですが、クラブ活動なんかでみっちり指した事のある人はどれくらいいるのでしょうか。最近は将棋だけではなくて色々楽しい娯楽が山のようにあるので、将棋人口自体も減少の一途のようです。
ところがどっこい先日の清水あから戦、異様な盛り上がりでした。確認しただけでも数多の人が記事にされているようです。
僕と将棋をふりかえってみると、少し苦いものがこみ上げてきます。僕が将棋を熱心にさしていたのは小学校中学年から高校に上がる少し前まで。相手はもっぱら小学校の将棋部の人や中学校のクラブでした。
残念ながら僕は段位までは行きませんでした。最終的には自分の中で進歩が見られなくなったうえ、周囲に勝てる人がいなくなってしまったのです。今のところ棋力自体は、BONANZAに形作りは出来る*1、K-shogiとは勝負にはなるが勝てない程度(24で言ったらひいき目に見て6~7級?)です。殆ど止まっていると思います。
今思い起こせば自分の将棋の勉強、研究の欠陥はそのまま本業の学業に当てはまった気がします。
1)良質な情報の欠如
2)時間の使い方
3)研究という感覚、方法論の欠如
プロ棋士の棋譜を読まない(当時は今のように簡単に見れるようにはなっていなかったということもあるのですが)、自分の得意戦法の棋書に手を伸ばしていない、感想戦をやらない、詰め将棋や次の一手をあんまり解いてない。そして、研究のなんたるかが分かっていない。あと、マナー悪い。多分羽生さんとか谷川さんみたいにきちんと"負けました"ってやっていなかったと思います*2。
僕が小中学生だったころは羽生さんが最強の時期であったのですが、羽生の頭脳を読もうともしていない。谷川浩司さんの本は入門ちょっと後くらいのものを一冊仕上げた気がするのですが、名著"光速の寄せ"を見た事もない。父親*3が角交換好きならいくらでも本が出ているのに、そんなこと思いも寄らない。
これでは強くなる筈がありません。今から考えてみれば自分の実力がストップしてしまったのもある種当然の帰結であったと思っています。
プロ棋士によっては研究会用にアパートを別に借りて研究に専念するケースもあるのですが、そこまではなくとも、なにかしら自分の中で考えたプロセスを蓄積するようなやり方を身につければ良かったのにと今から振り返って思います。
どれだけひいき目にみても僕には渡辺竜王や羽生名人みたいな才能自体はなかったいですし、中学の同期にいた小学生でアマチュア初段まで言った人位強くなれたかは疑問です。が、ある程度学習の道筋を自分で組めたらよかったのになと思う事しきりです。僕が超えられなかった壁は何も将棋の強さだけではなかったのです。
今はいっぱしの研究者です(まだ卵ですが。。)。ある程度探求とかいったものをどうしていけばいいのかはわかりますし、昨今の将棋をとりまく環境をみてみると今ならあんなことやこんなアプローチも思いつくのにといった思いがします。
本業としてやるべき事がある以上、僕がBONANZAに勝てるようになる可能性ははっきり言ってないと思いますし、その必要もないと思っていますが、たしなむ程度に、つきあい方を見つけて続けていければなと思った次第です。考えてみれば僕が時間をかけた数少ない日本文化の一つです。30路半ばまでにはマルチプラットフォームの将棋プログラムみたいなものをC++で作りたいなと思っていますが、どうなるでしょうか。人間本業とは別の気の長い目標一つくらいあってもいいじゃないかとおもうんです。